国指定史跡「牛塚古墳」と「車塚古墳」を探訪

 壬生町壬生甲地内にある国指定史跡「牛塚古墳」と「車塚古墳」を探訪した。栃木街道から300m位北進した幅員5m位の道路の両側に在った。初めて探訪したが、近くには人家かあり両古墳とも雑木林が繁茂していた。
 いずれの古墳も大正15年2月24日に国指定史跡となっている。
 探訪中、自転車で下校する中学生に「こんにちわ」とあいさつされいい気分になりました。調べたところ北西方約1kmのところに壬生町立中学校が在りました。

●牛塚古墳の文化財概要
 牛塚古墳は、東側に隣接する車塚古墳(円墳)とともに、黒川東岸の大地上につくられた前方後円墳です。
 墳形は前方部が短く、上から見ると帆立貝のような形をしているため「帆立貝型の前方後円墳」とも呼ばれています。墳丘は二段に造られ、第一段平坦面が幅広く造られているのが特徴です。墳丘第一段の全長は約60m、後円部の高さは約5mあります。墳丘の周囲には堀(周溝)がめぐっていましたが、ほとんどは埋没していました。さらに、堀の周囲には車塚古墳と同じく土塁(周提帯)がめぐっていたと思われます。
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◎古墳の周囲を回って見分した。墳丘の周囲(周溝)がめぐらしてあったわけだが、ほとんどが埋もれていた。
  落ち葉が一面敷き詰められており、所どころに枯れ枝を巻いて積んであった。

●車塚古墳の文化財概要
 車塚古墳は、本県を代表する古墳時代終末期の大円墳です。西側には牛塚古墳が隣接しております。
 墳丘は三段に造られ、墳丘第一段の平坦面が幅広く造られているのが特徴です。墳丘の大きさは、第一段の直径が82m、第二段が52m、第三段が32mあります。堀(周溝)の底からの高さは約11mです。
 墳丘の周囲には、ほぼ完全な形で円形に堀と土塁(周提帯)がめぐり、土塁を含めた古墳の総全長は120mに達します。
 墳丘南側には、巨大な擬灰岩の一枚石を使った横穴式石室が開口しています。石室の奥壁面には赤く色が塗られていた痕跡が認められます。石室については、江戸期の古文書などから、当時すでに開口していたことが判っています。
 現在、車塚古墳は、多くの木立ちにおおわれていますが、古墳が作られた当時は墳丘全体が石でおおわれ、その姿はこの地を治めた権力者のお墓にふさわしいものであったと考えられます。
 近年、壬生町教育委員会の発掘調査によって外側に新たな周溝が確認され、本古墳が二重周溝を持っていたことが明らかになりました。
、牛塚古墳・車塚古墳の南約500mには、国指定史跡愛宕塚古墳があります。
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◎牛塚古墳の西側を流れる黒川を約5kmほど上がると、国内最大級の家形埴輪を出土した富士山古墳をはじめとする、羽生田古墳群があることが分かりました。
 さらに、黒川を約4km下がると、県内最大規模の前方後円墳である吾妻古墳がある。近日中に探訪したいと思います。


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