東山道の研究(4)駅家の駅長等の仕事

 前に投稿した通り、自覚大師の父親が駅家の駅長だとの説により、駅長などの任務について調べました。
 ●駅長の任務
 駅には駅長がいました。駅長は朝廷や国司から派遣された役人ではなく、その土地の有力者や土豪が任命さ  れていました。駅長の仕事は、国の役人や駅使の送迎などのほか、駅子や駅馬の配置や馬の仕度、駅家・駅田 の管理などでした。終身的に任命され、任務は重く、租税や労役はそのかわり免除されていました。
 ●駅子たちはどんな仕事をしていたか
 詳しい記録はないようですが、当番制のようになっていて駅舎に勤務していたと言われている。駅子は土地の農 民で、駅馬を出す必要があるときはいつでも応じられるようになっており、駅使や公用の役人などを出迎え、荷物  を背負い、駅馬と供に次の駅まで行き、交代して自分の所属駅に戻っていた。
 また、通常は馬の世話や公用使のための休息、食事、宿泊などの仕事をし、当番でない駅子は駅田の耕作や  道路の整備をしていました。
 ●駅馬を利用したのはどんな人たちか
 駅馬を利用したのは、国の役人や国の役目で通った人、駅使(公用の荷物などを次の駅まで送り届ける駅子)  などで、ほかの人は歩いて通りました。駅馬を利用した人の中にも普通の速さで通行した人と、至急の報告や命 令を持って通る「飛駅使」がおり、飛駅使は一日に10駅を走り抜けるように規定されていたと言われますが、10駅 は160キロにもなり、無理だったと思われます。駅馬を利用する人は駅鈴を鳴らして通行しました。また、駅まで行 けずに途中で日が暮れてしまった時は、大木や岩の陰などで野宿をしました。
 ●庶民はどうして通ったか
 一般の庶民は駅馬を使うことはできませんでしたので、公用の通行を妨げないように通行しました。駅路の周辺 には果樹(梅、桃、梨、胡桃など)が植えられ、水がない所には井戸などが掘られていました。道路幅も6メートル  から12メートルと広く、両側には側溝を持つ、現代の道路にも劣らない構造でした。

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